久しぶりです。
心に余裕がなかったですが、
久しぶりにいいものを紹介できます。
ネタばれしたくないから多くは説明しませんが、
某CMソングです。
うーん、誰かに歌いたくなる曲だ。
これ以上はかかんとこ。
では、また!
久しぶりです。
心に余裕がなかったですが、
久しぶりにいいものを紹介できます。
ネタばれしたくないから多くは説明しませんが、
某CMソングです。
うーん、誰かに歌いたくなる曲だ。
これ以上はかかんとこ。
では、また!
http://www2.guinness.com/ja-JP/Pages/Craic_Screensaver.aspx
をごらんあれ、
ここのスクリーンセーバーはちと面白いよ。
扇風機?はいかす!
あと、サイトに入る前に年齢とかいちいち聞いてくる。
飲酒に関わるなんか自主規制みたいなものらしい。
説明が長いから全部は読んでないけどね。
パソコンのメモリーを買った。
自分のPCに対応するか不安だったので、注文の際に自分の機種名を記入して、大丈夫ですかと確認を求めた。
これは、機械的には返事ができないものだと思う。
先方からは注文のオーダーの確認メールが来たが、そこには、前述の自分の問に対しても大丈夫ですとの返事をもらえた。
これは人の手で確認してくれた返事である。
発送も手続きが早く、おそらく明日到着するだろう。
通販はよく利用するが、安いから買う、というよりは専門性を評価して注文するのも悪くないかと思った。今回のメモリーショップ・アークさんはそういう意味でよくやってくれたと思う。
こういった記憶は確かなもので、次につながると思う。
信頼を勝ち得るというのは、ネットショップでもリアルな対人販売でも同じである。
そういう意味では、この店に出会えたことを幸運に思う。
さて、あとは、買ったメモリーがどれだけ僕のPCの負荷を下げてくれるかだな。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090218/132811/?P=1
この記事では、少し自分も考えさせられた。
自分はファシリテーターという役割というかスキルを独学で学んでいる。もっとも習得した覚えはなく、もしかしたら、なりたいなといっているだけの人間かもしれないけれど。
その際に、一つのクラス、つまり学級委員長がいて、多数派や少数派、対立や、はみ出しものなど、それらがいる構図が世界の組織の大抵に当てはまると思っていた。
ただ、言い切るのは恐いけれど、極端な平等主義、記事のような全員でゴールなどという理不尽な平等の強制は非常に恐い者だと感じた。
組み体操などでピラミッドなんかは体の個体差と体力差で位置が決まる。
この位置づけを否定したら、ピラミッドどころか土台すらままならないだろう。
確かに、子どもの頃は身分は平等な一生徒であり、肩書きも単に与えられたものである。もちろん選挙など全員の合意のもと誕生するけど、それもうわべだけで、そこに上下関係は出来ないだろう。
自分もそれを理解したうえで、ロールプレイング、役割を演じるという意味で、クラスは参考になると考えている。決して自分の考えを肯定するつもりではないけれど。
本当は平等だけれども、何かを全体で成し遂げるときには、自己が積極的に前面に出るときもあるし、その逆に抑えるときもある。その際には軋轢も生じるけれど、ある意味逃れられない閉鎖された社会なので、今後のためにも関係の修復を試みたりする。そしてそれらの行為が経験として蓄積されると思うと、なかなか観察するとためになると思うのだけれど、どうだろう。まあ、不登校とか、退学とか、クラスの変更とかは別として。
大人の社会では、社長は偉いしそうそう批判できないが、学級委員長は(選ばれれば)誰にでもなれるし 逆にその意味で権力者ではない。だからこそ、どうすればみんながまとまるのか、それを考えるのは面白いかもしれない。
まあ、教育者じゃないから現場も知らないから多くを語ることは出来ないが、自分なりにこの頃考えることは、指導者と権力者の違いを考えてみた。
指導者は集団の先を見据えてその先、未来を指し示すことが出来る人間で、進むべき方向を示して前に進む人。進むべき周囲を知るためには一旦高いところに上る必要があるが、先が見えたらそこからおりて前進する人かと。
権力者は、原則人の上に立とうとする人。指導者と違い、一箇所にとどまり、自分の下に多くの人を従えることで、更なる高みへ上り詰める人。
指導者=善、権力者=悪、ではなく、社会が不安定なときは新しい軸を見出す指導者なる存在が求められ、安定期に入ったときには、権力者がきっちり束ねるということかな。
これが時代時代で機能していれば、社会は安定した発展ないし永続が可能かもしれない。
学級委員長とはかけ離れてしまったけれど、指導者も権力者も周囲が認めるからなれる者である。だから学級委員長も誰も認めなければ意味がない。そういった可能性などを互いでつぶしあった社会(ないし国家)はどんどん消滅していくと思うんですけど、どうなんだろう。優劣の二元的発想は短絡的だけど、相手の優れているところ、自分の優れているところなどを尊重して評価し合えて伸ばしあえる社会ないし組織づくり、ができたらなということで、ファシリテーターにあこがれるのでした。
最近、いわゆる後期高齢者、もとい長寿医療制度の研究の集計作業をしている。
尊厳死という者がイタリアでも騒ぎになったが、日本も遠からずな議論はあるようだ。
介護保険制度は、病気でない高齢者に現在の生活レベルの維持を目指した、
僕なりの解釈では、病気にならない、医療費のかからない高齢者作りの制度である。
それを実現するためにいくつかのカテゴリーの施設があり、
目的は前述のようによりよく生きるというポジティブなものである。
しかし、後期高齢者制度は、
言い方を乱暴にすると、死んでくださいの制度なわけである。
もう少し説明すると、癌などの治癒が見込まれない方を対象に、
無理な延命ではなく、自然なそして充足に満ちた最期を迎えられるように、
人生を少しずつフェードアウトするものである。
だから、一方では健康で長生き!といいつつ、もう一方ではもうこのへんでしょう…という。
もちろんこれを同施設でやるというのは難しい。
自分としては、別に誰かのまわしものではないが、どちらの考えも理解できる。
でも、自分がその当事者になったとき、どう判断するのだろうか?
自分を育ててくれた母親は自分が中学の頃に癌で亡くなったのだが、
発見のときにもう既に手遅れだった。
悲しいけれど、みんなそれを承知でやっていた気がする。
最期の日は、自分が学校に行っていない間に、いろんな装置というかチューブが減っていて、
見るからに苦しそうに痙攣を起こすことがあった。
それは前日まで見られない光景だった。
何度か痙攣を繰り返した後静かになった。
医者を呼んでもすぐには来なかった気がした。
ひねた子どもには、みんなで引き金を引いた気がした。
これは罪なのだろうか?
制度として、これらをケアしたらいくらというのが、長寿医療制度の側面だと思う。
人をひとり看取り(死なせて)幾らという制度は、気持ち悪いというのがやはり現場の声であるが、
同時に仕方ないというのも事実。
人は必ず死ぬ。
自宅で死ぬのが本当は自然だという意見が多い。
病院は治る人を治すのが目的で、死に場所ではないという意見。
自宅では、その最期を面倒見切れないという現実。
必ず家に誰かいるわけではないし、心構えもない。
じゃあ、どこか?
安易な発想ではないだろうが、高齢者をケアしている人たちにまかせようか?ということだろうか。
人は死ぬ。
生まれることに意思はもてないが、死には自殺も含め、いかようにも出来てしまいかねない。
そこが難しいですね。
でも、振り返ってそれまでをどう生きるか。
つまり、西郷さんではないが、もうこのへんでよか!
と区切りをつけるためにも、ちゃんと生きないとね。
というわけで、えんえんと長くなりましたが、
そんなんばっか考えさせられるテキストを読んでいる仕事しています。
誰かを大事にしたいとか、そういう気持ちに無性になるのも自然なのかな。
こちらの記事より
400ミリリットルの献血、17歳男子も可能に 厚労省の検討会
献血をする人が減っているようですね。
自分たちは16歳から学校で献血の車が来たときから献血をし、
18歳になったら400mlが出来ると大喜びした記憶がある。
なにせ、学校で教員が400mlをやっていたのを見て、
自分たちも満18歳だからやりたいと直訴して本来200mlしか出来ないところを
無理やり400mlに変えた記憶が懐かしい。
たぶん、400mlの方が貢献度大!といいたかったのかな。
その後成分献血の存在を知って、現在は成分献血ですね。
体への負担は少ないそうです。
まあ、自分に出来ることを出来るときはやる。
この信条でやっています。
昨年で、通算100回達成しました。
日頃の積み重ね、些細なことですが、記録に残るので
達成感がありますね。
今回も書籍の紹介

リーダーシップ論
いま何をすべきか
ですが、まだ読んでいません。
最近自分もリーダーシップというか
ファシリテーターを演じたく思い、
最勉強しようかと。
というわけで読んでためになったことは改めて記載していきたく思います。
タイトルだけ見ると、ある人に見せたいですね、とくにサブタイトル
これは、1993年の絵本、でいいのかな。
ちいさな本だ。
たまたま先生の部屋で見つけた。
ちょっと時間があったので、手にとって見た。
勉強になる。
今の時代、ネットで友達になることも多い。
ミクシィでもマイミクとかやったりする。
バーチャルな友達のない時代の本だが、今にも通じる。
最初に、ともだちをつくるには、
相手にともだちになってくださいというところから始まる。
あとは、基本的な、自分のともだちのイメージを相手に押し付けないとか基本的な言葉が続く。
まあ、普通の本、普通の内容と言えばそのとおりだ。
しかし、それらの言葉、文字を自分できちんと受け入れる心を持つと、それらがしみこんでくる気がする。
今、ひとりの大事な人のためにパーティーを企画している。
自分のためでなくともだちのために行っているんだということをもう一度思い出した。
そのためにやっているのはわかっているが、いちいち立ち止まらないと忘れてしまいそうな、小さなことかもしれない。
これからも出会いと別れが続く、1回1回この本のように、ちゃんとともだちになってと伝えられているだろうか?
そして、相手を尊重しているだろうか?終わらない問答であり、繰り返すべき問答だろうね。
これを見ていただきたい。
http://homepage3.nifty.com/kouhei1016page/Math/Column/Column001.HTM
これは、イコールの正しい使い方について教えてくれているサイトである。
ノットイコール ≠ の斜線の入れ方(向き)について調べていたら見つけた。
なるほど、鯨=哺乳類 という表し方は誤りなのか。
母群のなかの1サンプルは確かに母群を代表するものになるかもしれないが、
それがすべてではないですからね。
なんか、政治にも使えますね。
麻生自民党といいながらも、麻生首相が自民党のすべてではない。
(中川さん見たい人もいるしね、飛び出した人もいたけど…)
つまり、ノットイコール、だね。
まあ、それもともかく、発言については、
数式で表すと事実と嘘がきちんとするのにな。
意外と数学って言語学的にも有用ですね。